ブログを長やっているといのに、未だに芸風が定まらないマンです。
一体自分は何を発信すべきなのか?
そんなことを悶々と悩んで14年ぐらい経ちました。悩みすぎにも程があるのですが、逆に悩み続けてきたから飽きずに続いているのかもしれません。
答えのわかってるゲームなんてつまんないですからね。(強がってるだけです)
一周回って考えたことを発信するのが一番やと思った
ところで、先日倉下さんとPodcast収録をした際に
倉下さんがおっしゃられていた「自分にとって考えたことを書くノートがブログだった」という一言が非常に印象に残っています。
僕が足らない頭を振り絞ってブログやPodcast、Youtubeに何を発信するのが良いかを悩み続けてきたその間に、倉下さんはずっと「考えたこと」を発信し続けてきたわけです。
個人メディアであるブログに何を発信するかは自由です。日常を発信する人、面白いネタ記事を発信する人、エモい記事を発信する人、レビュー記事を書く人、考えたことを書く人。
別に「考えたことを書く」ことが絶対的な正解であるとは思いませんが、僕の様に「もっとインプットしたことを深めたい。知識を得たい。知見を得たい。」と願う人にとっては「考えたことを書く」ことは非常に良いアプローチです。
何を以て成功とするかは議論の分かれるところですが、いわゆる自己実現(なりたい自分になる)の観点から考えれば、このアプローチの効果は期待できます。
もちろん、僕が「倉下さんの劣化コピー」になっても意味はないわけです。そこには僕の興味関心があり、僕の知識と経験が加えられる必要があります。考えるというのはどこまでも属個人的なものであって、それこそが独自性になります。
悩み続けて十数年、たどり着いた答えが一周回って「考えたことを書く」というのは、なんだか遠回りしてきた感もありますが、悩み続けてここに至ったことも一つ、意味のあることなのだろうと思います。
あたりまえと笑うのは継続してからにしてくれ
ところで「考えたことを発信する」というのは、今はじめて提唱されたものでもありません。どちらかといえば昔からよくあるアドバイスの類と言ってもよいでしょう。
しかし、この当たり前を実行することが、実に難しいわけです。この世には誘惑が多く、アテンションは奪い合われ、したり顔で「バズる方法」みたいなものを吹き込んでくる輩も多い。気がつくと誰かの成功の定義の上で踊っていた…なんてことはザラです。
静かに本を読んだり、考え続けたりすること自体が実はそれほど簡単ではないですし、当たり前のことを当たり前にこなし、継続し続けることはさらに難しいのです。
当たり前のことを当たり前にこなし、当たり前に継続する。そんな偉大なる凡人に僕はなりたい。