以前書いたとおり仕事のアサインが変わりまして・・というか、その内Facebookとかでもオープンにするので先に書いておくと、とある部門を受け持つことになりました。
2週間前は打診、この2週間必死でやってきて、公表できる程度に確定(つまり人事プロセスが走り出す)した感じです。
メンタル不調に陥って既に二年以上が経過し、休職から復帰して1年半。丁度人事的に僕が納まるのが良いポジションが空いた・・というか、立て直しの為に投入されたというか、まぁそんな感じです。
肩書きはカチョーからブチョーを通り越してホンブチョー。まぁ、採用された時点でブチョー級採用だったし、人事ランク的にも別にいつでもホンブチョーになれたんですけどメンタル不調等々あり、やっと本来の職責に戻された感があります。
異動した時点で組織としてはボロボロだし、色々トラブル山積だし、手ぐすね引いて待ってた人達から色々要望が寄せられるしで、てんてこ舞いの忙しさ。1年半のらりくらりやってきた身には中々応えます。
そりゃまぁ、不安にもなりますわ。気負いすぎもしますわ。ちょっと頑張りすぎて過覚醒で眠れなくもなりますわ。
でも2週間ほど走ってみて「まぁ、なんとかなるだろうし、なんともならんかったら諦めよう」ぐらいの諦念の極地と共に、なんだかやっていけそうなポジティブな未来が描けるようになってきたので、とりあえずあとは走りながら考えることにしました。
忙しくなって気づくアウトプット活動のありがたみ
ということで、休職前を彷彿とさせる忙しさの中に身を投じることになったわけですが、そんな中でもメルマガを配信し、Youtubeでのライブ配信を行い、編集版のPodcast及び同時収録映像を公開することが出来ました。
色々プレッシャーを感じる中、こういったアウトプット活動に向かう時間が取れるとホッとします。仕事で頭が埋め尽くされることなく「今日はアウトプットに向き合う時間が取れた、良かった」と安堵の気持ちを覚えます。
うつ病になって休職に至った2年前〜1年半前のあの頃は、仕事のことで頭が埋め尽くされ、寝る時間と食事の時間以外は全て仕事という異常な状態でした。
アウトプットができているということは、一つ自分の中でのバロメーターでもあると思っています。自分の趣味として、楽しみとして、アウトプットに向きあえているということ、それをしたいという欲求があること、頭と時間が自分の趣味に向かっているということ、それらを確認して「あぁ、今日もアウトプットに向き合えている、良かった」と心から思うことができるのです。
勿論、仕事や自分のやるべきことに没頭すること、全力を投じることは必ずしも悪いことではありません。ただ、僕は一度限度を超えてそれをやってしまったので、二度と同じ過ちを犯したくないという想いがあるのです。
僕にとっての仕事とアウトプット
ある方に、僕にとっての仕事やアウトプット活動はどういうものであるかと尋ねられました。仕事は楽しいか、ブログを書いたりするのは好きだからか、と。正直、答えに窮してしまいました。
僕にとって仕事は「やりたいこと、やるべきこと」であり「自分の能力が最も発揮できること」であり、楽しいかどうかよりも「誰かの役に立てている」か「自分が納得できる仕事ができているか」の方が重要な気がしています。
ブログやYoutubeをやっている理由も、正直良くはわかっていません。やりたいと思ったのでやり始め、楽しいという感覚よりも、なんらかのアウトプットをしていることが自分の中で「ごく当たり前」なことである、言い換えれば「アウトプットをしていない自分が想像できない」のです。つまり、続けているというよりも止める理由がないというのが正しい気がします。
もしも、今僕がアウトプットをすることを止めるとすると、もしかすると本当に死んでしまうかもしれません。僕が僕であるために、ブログやメルマガ、PodcastやYoutubeでアウトプットをすることは不可欠であると思います。
仕事を辞めても死にはしないと思うのですが、アウトプットを辞めると死んでしまう気がします。普通は逆な気もしますし、まぁ、仕事を辞めると経済的に死んでしまうので、結局両方辞められないんですけどね。
僕は今の仕事を割と天職だと思っている節があるし、生きがいや働きがいみたいなものを自ら求める必要性は全く感じませんし、不安やプレッシャーはあれど、そういうものも含めてどこか冒険を楽しんでいる節もあります。毎日がハードコアサバイバルですが、どこかそのゲームを楽しんでいるのです。
この辺はもう少し掘り下げられるかもしれないので、次のメルマガで深掘りしてみたいと思います。僕の人生観はちょっと変なのかもしれないし、意外に似たような考えの人もいるかもしれない。もしよろしければ、皆様のご意見もお聞かせ頂ければ幸いです。