今、ちょっと「しんどい」のです。
以前であれば、こういう時に「大丈夫、前も乗り切れたから」と自分に言い聞かせ、ちょっとぐらいのしんどさであればしんどい内に入らない、つまりしんどくないと自分に思い込ませて乗り越えてきました。
それはある種の強さかも知れません。そうやってしんどい状況を次々と克服し、多少のことではしんどさを感じない様になれば、周りからはタフな人間だと思われるかもしれませんし、自分でも自分が強くなったかのように錯覚します。
他人の心の中は覗けないけれど、皆それなりにしんどいを飲み込んでやっていて、それで上手くいく人もいれば、ある時どうしようもなくなる人もいるのだと思います。残念ながら、僕は後者でした。
最後の方は「大丈夫、まだやれる。これぐらいのことは過去にも乗り越えてきた」と毎日のように呪文を唱え、涙が止まらなくなっても、身体が動かなくなっても、何も出来なくなっていく自分に「もっと頑張れ」と言い続けていました。
しんどいもんはしんどい。それを認めてやるってのが一番大事やと思います。弱音なんていくらでも吐いても良い、周りからあいつは弱いヤツだと思われるのがナンボのもんじゃと。
弱音を吐いても状況は何も変わらないかもしれないけど、「そうか、しんどいんやな。がんばったな。ちょっとゆっくり立ち止まってみよう。」と思えるのか「甘えるな、これぐらいは過去にも乗り越えてきた。もっと頑張れ。」と思ってしまうのかによって自分の状態は明らかに変わります。
ボチボチ頑張る
しんどい状況の中で、自分の力量不足や精神的な弱さを嘆きたくなることも多いと思います。もっと努力せねば。これぐらい我慢せねば。そういう想いが湧いてきたときは、少し引いた場所から眺めるようにしています。
成長したいと思う気持ち、もっと頑張ろうと思う気持ちは大切だと思います。だからと言ってもっともっとと追い込みすぎて、すり切れてしまっては意味がありません。
だから、その想いを否定もせず、肯定もせず、ただ眺めて「そうかそうか、成長したいと思ってるんやな、それやったらボチボチ頑張ってこうな」と自分に言い聞かせるようにしています。
周りの評価を手放してしんどくないふりをやめる
今の僕は、以前と比べれば
すぐに弱音を吐く弱い人間
自分に甘い人間
がむしゃらに頑張らない成長意欲のない人間
といった風に周りから見られる可能性があります。でも、それでよいのです。僕は自分の身体と心が大事で、もう二度と家族や仕事仲間に迷惑を掛けたくないのです。
少し力を抜いて、少し飄々とやっていく方が、瞬間的なパフォーマンスは落ちても、長い目で見たときのトータルのパフォーマンスは上がることも、体験的に識っています。
仕事を辞めれば仕事における評価は意味がなくなりますし、今僕がネットから姿を消せば「Beck」というペルソナの評価は消失しますし、いずれ人々の記憶からも消え去るでしょう。
最も大切にすべきは自分自身であり、家族であり、近しい人々であり、他人の評価などでは決して無いわけです。だから僕は他人の評価を手放し、しんんどくないふりをやめることにしました。