僕の本職はモバイル業界のエンジニアであり管理職。下から文句を言われ、上から無理を言われる、ありがちな中間管理職のサラリーマンです。
RPGでいえば、さしずめ職業:サラリーマン、尖ったスキルはないけれど、組織の中では重宝されるサリーマンスキルは備えている方だと思います。
そんな職業:サラリーマンが何故、ブログやNewsletterを書いたり、PodcastやYoutubeで情報発信をしているかと言えばそれは「生きるため」やなと思ったので今日はその辺を掘り下げてみます。
生活のために仕事をしているが、それだけでは生きられない弱き存在
Newsletterの前回の配信でも書いたとおり、今ちょっとしんどいのです。しかし、おかしなことに今日も頭がクラクラして変な汗をかきながら思った事は「Newsletterを書きたい」でした。
なんでなのかは分からない。書くことによって僕は何かを吐き出しているのかも知れない(ストレス発散説)し、書くことによって僕は自分が何者かを定義しているのかも知れない(自分探し説)し、全く別の理由かも知れません。
ただ、自分がこれと決めた仕事があって、大変な中でどうにか折り合いを付けてGoing Concernな形に持っていこうともがく毎日の中で、少なからずお給料を頂いて日々の生活の心配はない状況にあります。
なので、正直ブログ、Newsletter、Podcast、Youtubeが無くっても”金銭的には”全く問題がないというか、仕事外で稼ぐだけならもっと効率の良い方法があるんじゃないかと思います。
そんな中、考えてTwitterに投稿したのが
という内容です。ぱっと見ると、インスタやTwitterでいいねを欲しがる承認欲求お化けっぽい感じに見えるかも知れませんし、まぁ別に同じと思われても差し支えはないです。
ただ、僕がこの💖から受ける印象というのは「自分という存在」に対する肯定であり、僕にとってもよく分からない「自分」に対してお前はそれでええぞっていう後押しを貰っているように感覚があるのです。
他の方はどうかは分からないのですが、僕にとっての「自分」という存在は酷く脆弱で、不明で、「自分を強く持つ」とか「自信をもつ」ということが酷く不得意なのです。
自分が何者かを考えるためのWriting
「我思う、故に我在り(Cogito ergo sum)」は有名なデカルトの命題です。
本来の意味合いとしては全てを疑う中で、例え世界の全てが虚偽だとしてもそれを疑っている自分自身の存在は否定できない・・みたいな感じなんですが、ちょっとここでは意訳的に使わせて貰います。
というのも、僕が何かを外の世界に発信する理由の一つに「自分の考えをまとめる中で自分という存在を確かめられる」という感覚があり、これが曖昧なアイデンティティーに形を与えることに非常に重要な役割を果たしている様に直感しているのです。
確信とか、論理的に正しいとかそういうので無くて大変申し訳ないのですが、これは僕の経験から導き出される仮説でしかないため「考えながら書くなかで自分が何者かを識ることができる」という直感があるとだけ申し上げています。
自分は真っ暗闇の中にいて、自分がどういう事を考えているのか、感じているのかをとりあえず書き記して自分の外側に対してそっと放つ。そこに何らかのフィードバックが加わると、その一瞬だけその閃きによって自己の像が見えるような気がするのです。
「何者かになりたい」欲求を持つ以前に僕は自分がどういう人間なのかすら分かっていません。まずは、酷く脆弱な自己像を識り、その上でどうなりたいのかを考えたい。僕は自分を識るために、今日も何かを書いたり話したりして、それをそっと世の中に放つのです。
いつも僕が発信する何かを受け取って下さる皆様に、そして何らかのフィードバックを下さる皆様にとても感謝しています。皆様のおかげで僕は、今日もこうして生き延びることができています。