最近よく聞かれる質問に「転職して後悔していない?」というモノがあります。
さもありなん、さもありなん。
元いた会社でも「しんどい状況」というのはあったのだけど、今の会社の「しんどさ」はかつての比ではないわけです。正直、転職しない方が楽だったなとも思います。
純然たる日本企業の、良くある年功序列と出世競争の中に身を置き、文化的多様性もそれほどない中で日本語中心で仕事をしていた訳ですから、180°違う方向性の会社に入って苦労がないと言えば嘘になります。
この選択は正解やったと思うわけ
ただ、だからといって転職に後悔しているかと言えば「No」なわけです。むしろ、あのとき「転職をしないという選択をしていれば後悔していた」だろうと思います。
そこには自分が挑戦したいと思う魅力的な仕事があり、自分の知識や経験が120%活かせる場があり、待遇も非常によい条件でオファーが得られました。
結果として体調を崩す形となってしまいましたが、挑戦をして、必死でやって、色々結果も出してきた事実まで否定したくはないのです。結果論としては、転職をしなければ体調を崩すことはなかったと言えるかも知れませんが、その結果論だけでもって後悔の念に至ることはありません。
あの時転職をしないという決断をしていれば、僕はきっと「挑戦しなかったことに後悔をした」と思います。また、出向時代も含めてこの3年半ほどの間で、体調を崩しながらも自分がなし遂げてきたこと、獲得した得がたき経験、仲間と共に苦楽をともにした日々に後悔など微塵も感じてはいません。
失敗や挫折も含めて自分の人生
人生の中で人は大小様々な選択をします。
これまでの人生で僕は、どちらかと言えば「無難な選択」を繰り返す傾向にあり、この転職の選択は珍しく「挑戦する選択」だったと思います。つまり、このような挑戦をする、しないの選択において「挑戦しなかった後悔」の方が圧倒的に多いのです。
もしも、自分の選択が元で自分の大切な人を傷つけたり、かけがえのないものを失ったりすれば、その選択自体を悔いるかも知れません。取り返しの付かないこと、というのも確実に存在します。
今回の転職は果たしてそのような「取り返しの付かないこと」だったのだろうか。勿論、体調を崩さずにすんでいればその方が良かったと思います。それでも、僕は現に今も生きていますし、頑張って踏ん張って何とか日々を過ごせています。
まともに働けなかった日々はムダだったのか。回復にようした時間は遠回りだったのか。その価値を決めるのは他でもない自分です。他人がどう思うと知ったことではありません。僕はこの数年間を振り返って何ら恥じることも、悔いることもないと感じている。それが全てだと思っています。
悩み、苦しみ、もがいている時間は決して幸福なモノではありませんでした。失敗や挫折なんてない方が楽なのは確かです。それでも、そう言うモンを全部ひっくるめて、良いことも悪いことも全部自分の人生やと思っています。
自分が選んだ道の先にどんな結果が待っていても、他人に選択を委ねるよりは百倍良い。やらない後悔より、挑戦して失敗する方がマシ。
何もかも上手くはいったわけではなかったし、辛かったし、今も体調に不安を抱えながら生きているけれど、僕は自分の選択とその後の人生を、胸を張って誇りたいと思います。「よう頑張ったな」と褒めてやりたいと思います。
未来の自分に誇れるように、子供に胸を張って話せるように選択する
何かを選択するとき、僕はいつも「未来の自分に誇れるか?」「子供に胸を張って話せるか?」と自問自答します。
選択の結果として、失敗も挫折もあるでしょう。しかし、失敗や挫折の先にも人生は続きます。その結果すらも結局はその先の人生のプロセスに過ぎないのです。
もっと楽な生き方もあったと思います。僕の生き方の理解に苦しむ人もいらっしゃると思います。それでも、僕が「未来の自分と子供に誇れる生き方」ができている限り、僕にとってその「選択」は常に正しく、何人たりともこれを「間違っている」と断じることは出来ないのです。