朝ツイートした件を改めてまとめ直しています。元ツイートはこちら。
小学生の頃にプログラマーに憧れて、中学入学と同時に安い一体型のDOS/V機を購入して趣味でプログラミングをかじっていました。
学歴文系ながら、NECにSE採用で拾って貰い、テレコムネットワークの運用監視というマイナージャンルでエンジニアリングの道に潜りこみました。
気がつけばこの道18年、日曜プログラマーの文系学生が紛れ込んだエンジニアの世界で、それなりに評価を頂ける様になりました。また、この4年で「世界を変えるような、一生に一度の仕事」もやれたという実感もあるので、多少思ってたのとは違っても夢は叶ったのかなと思います。
思いがけぬ幸運が重なって今がある
当時の自分としては、もっと花形のエンドユーザ向けサービスをやりたいって思ってたけど、モバイルの裏方のしかも運用監視系っていうニッチながらE2EでNWの事を学べる分野を自分の専門に出来たのは、今にして思えば僥倖だったと思います。
今の仕事に挑戦できたのもたまたまニッチな専門性で15年間培ってきた特異な経験があったから。普通ならスタートラインにすら立つことがえきない、現職の3年半のクレイジーな経験が出来たことも僥倖だったと思います。
改めて思うと、経済学部出身の自分をSEとして採用してくれて、客先にも送り込んでくれて、炎上プロジェクトを練り歩かせてくれて(辛かったw)、モバイルオペレーションの最前線を任せてくれて、英語で仕事する機会にも触れさせてくれて、一人前にしてくれた前職のNECには感謝しかないです。
ここに立てている「幸運」を思えば、今の状況は「不幸」とは思えない
ここ最近、メルマガやTwitterで仕事が辛いって話を連発しているわけですが、そもそも今自分がこのステージに立ている事の「幸運」を思えば、自分が不幸だとはとても言えないなと思います。
度重なる幸運と、その時々の仲間や恩師からのサポート、そして辛い局面を何とか乗り越えてきた自分の頑張りを思えば、今の自分が「不幸」なわけがないと。
今は辛いかもしれんけど、それは自分で選んだ挑戦に伴う痛みやし、やっぱり駄目ならまたやり直したっていいわけです。やるだけやった先の挫折なら致し方ない。腹をくくってやるしかないし、ある程度は割り切るしかない。
この先挫折も失敗も、自分の不甲斐なさに絶望することもあるかもしれんけど、それでもここまでやってきた事がムダになることは絶対無いし、ここに立てている幸運や恩義、自分の努力を思えば自分はやっぱり幸せモンやと思います。
大阪の片田舎でパソコン雑誌を読みあさって、中学生ながら技術書片手にクソみたいなコードを書いて、高校大学時代はPC自作したり、テレホーダイでネットに接続していたパソコン少年が、今では通信の一分野で世界とバッチバチにやりあっているのだから、「お前は正しいぞ、胸を張れ」と言ってやりたいと思います。過去の自分にも、今の自分にも。