大阪の隅っこにある郡部で育った僕にとって、「都会で一人暮らしをする」というのは明確に憧れであった。
坂道だらけで自転車の移動に苦労し、コンビニもなく、本屋が潰れ、たまり場だった駄菓子屋兼おもちゃ屋は、プラモデル⇒中古ゲームと業態を変えて最後はひっそりと店を閉じた。スーパーは最寄りの二カ所が潰れ、車がないと日常の買い物も果たせない。
何もないが、自然だけはあった。徒歩圏に森があり、チャリをかっ飛ばせば蛍が見れる沢にもいけた。昔付き合っていた彼女と満開の桜が咲き誇る土手をチャリでニケツし、失恋をした時にはふらっと近くの山に登って夕日を眺めた。
中学生、高校生と大きくなるに従って「都会で一人暮らしがしたい」と思う様になったが、大学は地元の公立大学に通うことが出来たので、「都会で一人暮らし」の代わりにバイト代を貯めて車を購入した。
今にして思えば、良い選択であったと思う。田舎のデメリットは帳消しになり、お金がないなりに工夫をして車で色々な所へ遊びに行った。親に金銭的に迷惑をかけることもなく、奨学金という名の借金を背負わずにも済んだ。
そして、就職を機に上京。3ヶ月の寮生活を経た後、念願の「都会での一人暮らし」を手に入れることができた。
都会に暮らして自然を求めてお金を払う
上京した2005年4月から17年半が経過したが、通勤の関係でずっと横浜や川崎に居を構えている。残念ながら、気軽に車の維持費を考えるとカーシェアリングの方が安上がりだと、車も手放した。
憧れの生活は勿論楽しかった。友人が泊まりに来たり、タコパをしたり、日がな一日中信長の野望をやったり、生活費を浮かすために自炊もした。彼女が出来て結婚して、「都会で一人暮らし」は終わりを迎えたが、十分に満喫はしたと思う。
今は横浜にマンションを購入して、家族で暮らしている。つい最近までは割と型にはまったサラリーマン世帯だったのだけど、仕事を変えたことがきっかけで「しんどい状況」になり、焚き火や自然を求めるようになった。
(参考)メンタル不調から少し長めの病気療養に入った経緯と状況、休みに入ってからの心境の変化など
横浜にはいくらか森林公園的なものがあるが、地元レベルの自然を味わうためには、南足柄や丹沢あたりまで足を伸ばす必要がある。
自然の中でゆっくり過ごしたいからと、岡山の父方の実家でワーケーションをしたり、最近はもう少し手軽に1,2時間でいける近場でキャンプをするようになった。
かつてはあれほど抜け出したいと思っていた田舎での暮らしに、今は強い魅力を感じている。ただ、仕事や家族の意向を考えると田舎に暮らすことは厳しいので、安くはないお金を払って岡山の田舎や、キャンプ場に赴いている。
キャンプそのものにお金はそれほど掛からないが、カーシェアや食費、諸々を考えると2万円位は掛かっている。岡山の田舎に行くとなると、往復3万円の新幹線/飛行機代がかかるほか、1週間で2万円程度のレンタカー代、食費等々を入れると6万円程度の費用が必要となる。(民泊代がかからないだけマシではある)
都会に暮らして精神的に消耗している今、田舎で過ごすことや自然の中で過ごすキャンプには、それだけのお金を払う価値があるということなのだろう。
子供の頃は何もないと思っていた地元
子供の頃、地元には何もないと思っていた。聖徳太子、推古天皇、小野妹子の墓があって、みかんとぶどうが特産である以外は何もない町だと思っていた。
しかし、都会に長らく暮らして、お金を払ってまで田舎暮らしやキャンプをする今、当たり前にそこにある自然や、安すぎてデカすぎる朝市の野菜、車で10分も掛からないところにある森と沢に面した天然温泉、気軽に登れる山々、そこら中にある焚き火ができる場所など、地元や実家のポテンシャルの高さに驚愕をしている。
子供の頃の自分が浅はかだったとかではなく、離れて気づけること、今の自分の状況だからこそ見いだせる価値があったということなのだろう。
だからといって、今すぐ地元に帰りたいとか、田舎に引っ越したいというわけではない。ただ、そこに価値があると思えたのだから、それに気づけたことで今は良しとしておこうと思う。