後1週間で40歳になります。
にも関わらず、全くもって今後の自分の人生に展望が描けず、40代を迎えること30代でなくなることに感慨もありません。
今後の展望が描けない
心の調子の方も一時期の最悪期を脱したものの、相変わらずの低調ぶりで、自分の中でも「このまま今の仕事を続けていたら治らない」という確信めいたものもあります。反面「今辞めたら後悔する」という想いもあります。
やるだけやって、駄目ならその時。
その方針は変わってはいませんが、このまま行くことに対しての不安が非常に大きいのも事実です。自分が納得できるところまで果たして身体と心は持つのか。
40にして惑わずの不惑からはほど遠く、未だ惑う未惑の40代を迎えることになりそうです。
また、「これからどうしたい」とか「今後のキャリアプラン」みたいなモノが全く描けていないことも少し気がかりです。それよりも今は「どう生き延びるか」みたいなことに必死で、1年先に自分がどうなっているか全く想像も付きません。
まずは1日、1週間。その先の事は考えない。
今の僕の生存戦略は超短期的なことにのみ意識を振り向けることなので、ある程度は致し方ないのかも知れません。それにしても、出口をどうするのか、その先どう生きていくのか、後30年ぐらいは続く仕事人生をどのように構築していくべきなのか、全く将来将来の展望が描けないのです。
自分のスキルや能力を活かして転職をする道はいくらでもありそうです。それは一つ安心材料ではありました。しかし、今の会社に残るか転職するか、或いは全然違う方法で食っていくか・・どうすべきか考えがまとまってていません。
あまり難しく考えず、まずは自分の心理的安全性を確保して、ゆっくり将来について考えていくのが良いのかも知れません。焦らずじっくりいきたいと思います。
40代を迎えることに感慨がない
不思議と30代を終え、40代を迎えることに感慨がありません。アラフォー期間の内に覚悟が定まったというのもあるかも知れませんが、恐らくはあまりこの年代に意味を見いださなくなったという事なのだと思います。
39歳と40歳の差など1歳の差でしかありません。年収が激増するわけでも、今までに無かった割引が増えるわけでもありません。ただ、一つ年を重ねるだけ。
自分が年を一つ重ねると言うことは、子供が成長し、両親と過ごせる時間も着実に減っていくと言うことを意味します。今の子供の成長を見逃すことや、両親へ親孝行をする機会を逃すことの方が40代を迎えるよりも圧倒的に恐ろしい。
自分の年齢よりも他のことの方が重要になった。ただそれだけの事かも知れません。30代後半から40代に変わったところで、自分が中年である事に変わりは無いし、運動面でも仕事面でも別に大きな変化など無いわけです。
あまり意味があるとは思えないラベル付けに一喜一憂するよりも、大きなトラブルもなく1年を過ごせたこと、家族が皆元気で暮らしていることの方がよっぽど嬉しい。
そんなことを考えながら、でも、自分の誕生日に向けて30代の終わりを指折り数えている自分がいることも確かなので、不思議なモノです。
P.S.
毎年恒例のAmazon欲しいものリストを晒させて頂きます。お誕生日プレゼントで頂いたものはYoutubeやブログで紹介させて頂きます!(去年分が・・まだ・・ですが)
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