倉下さんに前号の記事に対して言及頂きました。
次の一文節を読んで、ハッとさせられました。
はっきりいってその期間は物書きの仕事を辞めることになるかもな、という気持ちで過ごしていました。なにせまともにパソコンを開くことも、長時間執筆することも、難しい本を読むこともできないのです。ただ生きているだけで精一杯という状況。
自分としてはこれまで一度どうしようもないところまで行ってしまって、休職措置を経て徐々に回復を果たしてきたという実感を持ってやってきたのですが、またもや悪化する方向に行ってしまいました。
体調が悪化するに従って、今まで出来ていたことができなくなり、自分はもう駄目なのかも知れないという想いが何度も頭を過りました。頑張らないといけないのに、頑張れない。何とかしないといけないのに、どうしていいのか分からない。
正直に言えば、あの時安易に考えて決断しなければ良かったと後悔しています。ただ、それも結果論で、挑戦してみないと実際どこまでやれるかわからなかった訳ですから、致し方ないとも思っています。やるだけの事はやったけど、届かなかった。それだけのことです。
奥さんとこれからどうしようかという話をしているとき「やり残したことがないなら、辞めて少し休めば良い」という事を言って貰いました。勿論、そう易々と辞めることはできないのだけど、それでもすっと肩の荷が下りた気がしました。たしかに、もうやれるだけの事はやったなと。
まずは率直に今の状態を上司に相談してみようと思います。ポジションを離れることになるかも知れませんし、会社を去ることになるかも知れません。逆に強力なサポートが得られるかも知れません。
もっと頑張りたい、何とかしたいという想いは今でもあります。ただ、言うことを利かない身体と、永遠になくならない頭痛と、下がり続ける生産性、時折首をもたげる希死念慮という「いつか来た道」を前にしてそろそろ腹を括る時がきたと思いました。
頑張りたいという想いを手放すのはすごく怖いけど、このまま「いつか来た道」を突き進むことは決して誰にとっても幸せなことではないので、ここは勇気をもって頑張るのではない、状況を変える一手を打っていきたいと思います。
もちろんそれぞれの人生の進み方は、それぞれの人が決めるものです。それに生きていれば、何かしら変化があったり、思いも寄らぬことも起きたりします。いいことも、わるいことも、区別なく人生は発生します。だからあんまり考え込んでも仕方がないことではあるでしょう。それでも「生きていれば」という前提があってはじめて言えることなのだとは思います。
この一手がどういう結果になるかは分かりませんが、今は兎に角生きること、これ以上状態を悪くしない方向に進みたいと思います。