今日何気に呟いたこちらのツイート
少し掘り下げてみたいと思います。
Twitterで僕が苦手としている「これはガチで」と「続きはプロフ(固ツイ)」といったツイートをするアカウント。きっと皆さん、真剣にどうすればTwitterで注目を集められるか・・みたいなことを考えて成功した人の真似をしてキラキラツヨツヨのツイートをしているんでしょうきっと。(ところでこの場合の成功とはなんでしょうか?)
ブログでもビジネス書でも、それを書いてる凄い人は、凄い一面だけを見せるようにして、短所や泥臭い部分はあまり見せないように心がけるのが常だと思います。これまで目にしたセルフブランディング系の話で、欠点をさらけ出しても弱音を吐いてもいいと言うのを見たことがありません。
でも、どんな人にも駄目なところはあるだろうし、辛いときには弱音の一つも吐きたくなると思うんです。実際には色々苦労もあるだろうし、人には見せたくない上手くいかない事柄だってあるでしょう。
ただ僕は人と相対するとき、或いは自分がどういう人間かを表明するとき、この自分の弱い部分や、上手くいってないことを隠して、完全無欠の凄い人で、全てが上手くいっていますみたいに見せかけることを快くは思えないのです。良いとこも割るとこも弱いとこもそれを乗り越えるところも、僕なんです。
次の記事でも似たような事を書きました。
何でも出来て弱音もはかないPerfect Humanには一生掛けてもなれなさそうなので、僕は泥臭く生きて、大変と分かってても火中の栗を拾いに行って、もがきながら頑張って、しんどくてもまた前向いて歩いていこうと思います。
そういう泥臭い生き方を、僕が誠実だと思う方法で発信していく。それが誰かの役に立つかは分からんし、教科書通りの「セルフブランディング」とはずいぶん違うのだろうけど、シンプルに僕が正しいと思うことをすべきやと思っています。
僕だってネット上で発信する身としては、より多くの人に届いて欲しいし、届いた人の役に立つことを発信したいという想いはあります。書いた記事や頑張って作った動画がバズるとやっぱり嬉しい。
でもそれは、生身の自分、虚飾だらけの見せかけの自分ではない実像としての自分からの発信である必要があります。欠点を隠さず、弱みを見せる。だからこそ、胸を張って人様に「僕はこうやったら上手くいったよ」と伝えることができる。
不安に押しつぶされそうでも、なんとかかんとかやっていくしかない。失敗もあるし、壁を乗り越えられずに倒れてしまうかも知れない。ただ、どんな場合でも結末でも僕は家族の為に生き延びると決めています。
もっとスマートに、もっと難なく人生を歩めたら良かったのにと思うけど、そうじゃない人生が僕の運命のようなので、僕はその中でもがいてあがいて生き延びる道を見つけていきたいと思います。
十数年情報発信活動をやってきて、未だ僕が他の人に提供できるGiftが何なのかよくは分からないのだけど、ただリアルな自分をさらけ出し、泥臭い生き方の中で見いだした生き延びるための術を共有できるのであれば、それは何だか素晴らしいことのように僕は感じています。
それはきっと万人にとって役に立つことでもなければ、キラキラツヨツヨツイートをしている人達が目指す成功とも大きく異なるのでしょう。敢えて僕の成功の定義を行うならば、そういうGiftを必要としている人に届けられることであろうと、そこはかとなく考えている次第です。