僕は元々NECという略称の会社で働いていたのだけど、「やりたい仕事」がそこにあるからという理由でノコノコ今の会社に転職をしました。
実を言うと「やりたい仕事」は一巡して、自分の中では既にやりきった感があったのですが、会社組織としては当然新しい役割を僕に与えてくるわけで、今現在は大変責任のある仕事を任せて頂き、毎日打ちのめされるような日々を送っています。
ある日、同じくNECから転職した後輩や先輩と飲む機会がありました。
勿論、人それぞれ悩みもあるだろうし、仕事で上手くいかないことや辛いこともあると思います。
それでも、ゴルフ三昧・サウナ三昧・ここには書けない大人の話なんかを伺いながら、非常に楽しくおかしい毎日を過ごしてらっしゃる先輩方の話を伺って「そういえば、NECも仕事は大変だったけどこういう雰囲気だったよな」と感じいらずにはおれませんでした。
心理的安全性のある職場環境で働いていれば、過分に激務だろうと、プレッシャーが強かろうと、ある程度は心の平穏を保って毎日を過ごすことができるわけです。
多少上司に詰められようが、所詮はパワハラガイドラインに抵触しない程度のもので、昭和のオッサンやイ○ド人のような理不尽かつ暴力的なものではないわけです。
如何に自分が修羅の国にいるかを思い知らされました。
結局飲み会途中に電話が掛かってきて寒空のした対応。飲み会解散後カラオケボックスに駆け込んで継続対応を朝までし、何とか事なきを得ました。
インド式ビジネススタイルに既に4年ほど漬かっているので、予測不能な事態というのはそれ程多くはないのですが、精神的にガッツリ削られるようなバッシングを浴びせられ、責任をなすりつけられたり、ブスブス隣から刺されたりします。まぁ、謝るしかないし、対応するしかないんですけどね。
そういう事態になったときもある程度手心を加えて貰える様に、一緒に酒を飲んで握手しておくのもスゲー大事です。まぁ、この辺はどういう職場でも大事なことですよね。
個人的関係を結ぶことで「あいつは責任感のない駄目なヤツ」から「あいつは良い奴だが、トラブルはトラブルだから」に感情が緩和され、Infinity KillingをOne time Killingへと和らげることができます。
今の自分が多少のことでも動揺し、すぐに「自分のような無能がここにいてはいけない」とか「僕は生きている価値がない」みたいに自分を全否定してしんどくなってしまうので、確実に認知の歪みはあると思います。
でも、それって「俺の認知がゆがんでる」というよりも、修羅の国で耐え忍んで何とか生きながらえてきた中で「俺の認知はゆがんでしまった」わけで、なんかそれに責任を感じるのは違う気がしてきました。
言葉のグローブなしで全力で殴り合う、力が全ての修羅の国に自分がいる。まぁ、別に本当に命を取られるわけでもないし、なんならいつクビになったっていい。そんな場所に自分がいることを自己認識することはすごく重要だと思う。
今暫く自分が納得できるまではここで頑張るつもりだし、まだ状況が改善されて心理的安全性が確保できる可能性もゼロじゃない。とりあえず、闘争と逃走の内闘争を選ぶのだから、せめて自分の命は守らないとな訳です。
今はとりあえず、この修羅の国で修行を積んでいると思うことにし、生き延びる事を第一に、心理的安全性を確保するために全力を尽くしたいと思います。