休職に入ってすぐにキャンプに行くのはどうだろうと思いつつも、自分の気持ちと考えを整理し、多少なりとも体調を戻せればと想い、滝沢園にソロキャンプにやってきました。
休職に入ったとはいえ、体調がまだ完全に戻りきっておらず、頭痛や吐き気、だるさがまだ少し残っています。すでに仕事からは離れているのに、まだどこか気持ちが晴れません。
キャンプは設営や食事の準備、火起こしなどいろいろと作業のために体を動かすので、悶々と家で考えているよりも多少なりとも気分が前向きになります。
また、作業時間以外は基本的に火をみてぼけーっと頭を空っぽにしたり逆に考え事をしたり、読書をしたり、ポメラに文章を打ち込んだりぐらいしかできることがないのも良いのです。ストレスから離れたり、じっくり考え事や読書にふけることができます。
そんなわけで、ただ自然の中で何をするでもなくぼけーっと火を眺めながら自分の心の中にあるモヤモヤの正体を探りました。多分5時間ぐらい、何もせずにひたすらただ思索を巡らしていました。
自分で自分が許せていない、或いは無能な自分を責めていた
正直、自分ではある程度割り切れていると思っていたのですが、どうやら自分の気持ちはまだ自分を許せていないっぽいことに気づきました。
多くの人に迷惑をかけてしまったこと、こんなことになるぐらいだったら去年こんな話を受けなかったら良かったのにと言う自分の不明さ、自分がこれ以上壊れていくことに耐えきれなくなって白旗を揚げたこと。
もしかしたらもっと頑張れたかもしれない。もしかしたらもっと物事を楽観的に捉えたり、過度にストレスを感じない生き方もできたかもしれない。
たらればを今更言っても時が戻るわけでも、全てがうまくいくわけでもありません。むしろ高確率で同じ道を辿っていたでしょう。
僕は在らん限りの全力を尽くして力及ばず、ギリギリまで耐え忍んで最後は壊れいく自分への恐怖が他者への迷惑よりも大きくなり、舞台を降りる決断にいたりました。
むしろ、決断などという格好のいいものではなく、起き上がれなくなり、頭が無能感と罪悪感からよからぬ考えで支配され、涙が止まらなくなり主治医に駆け込んだのが実情です。
ビジネスの世界は努力や頑張りではなく結果で判断されます。僕はやり遂げられず、いわばKOされてリングから降りることになりました。なので中には僕の事を無能だ軟弱者だと謗る人もいて当然です。
でも、少なくとも自分だけは、自分の必死の頑張りを認め、限界ギリギリまで耐えた強さを讃え、ゆっくり休むことを許してあげるべきじゃないかと思うに至りました。
きっと僕の認知は歪んでいて、不必要に考えすぎていて、身の丈以上の仕事に無謀に突っ込んで、多くの人に迷惑を掛けてしまった。もっと改善できることはあるはずだけど、今しばらくは回復に専念し、元気になったら改善と努力を再開したいと思います。
違う世界線でやり直したいとは思わない
もしも僕が前職を止める決断をいていなかったら、もし自分がもっと無難な道を選んでいたなら、もしあの時あのプロジェクトがとれていたら、もしあの時僕を現職に引き込んだ彼にであっていなかったなら。あの時あのオファーを受けていなければ。きっと、違う未来がそこにはあったのだろうと思います。
うつ病になったこと、2度の休職に入ってしまった事は決して美化できるようなものではなく、そこに至るまでの日々はさながら地獄絵図でした。それでも、僕はこの経験の中で、より謙虚により優しくなることができ、平凡な日常のありがたみや家族の大切さに気づくことができました。
この考え自体が非科学的ではありますが、もしもあの時に戻って人生やり直せしたいかと問われれば、僕はNOと答えるだろうと思います。
今このような形になってしまっているからと言って、この5年間やってきたことの価値がないというわけではなく、今回うまくいかなかったからと言って僕自身が無能で無価値だってことでもないわけだす。
この5年間で死ぬほど働いて、自分がやりたかった仕事を成し遂げて、専門性もさらに深めて、全く喋れなかった英語も喋れるようになって。得難き経験、成長、成果がそこにはあって、それはなんら恥じるところではないと思っています。
戦略は立て直す必要があるでしょう。もう少し元気になったなら、もっと自分の強みを活かすにはどうすべきかを考え、同じ事態を引き起こさないためにどうすべきか今回の経験から教訓を得たいと思います。
自分の弱さを突きつけられ、失ったものも少なくはありません。それでも今は自分が今まで得たもの、弱みの対にある強みにフォーカスして、再び前に歩み出したいと思っています。