先月もそうだったが、月初めにメンタルが不調気味になる。
理由はまったく思いつかない。仕事が少し忙しくなってきたかもしれないけれど4月までの状況と比べれば途轍もなく心穏やかに過ごせている。
不調の波というか、一種の気まぐれな憑きものとでも言うべきか。時折気まぐれに顔を覗かせては、やり過ごし耐え忍んでいる内にいなくなる。
2021年のどん底からの回復期には、「大分良くなってきた」と希望を抱いて喜んでいたら、不意に不調に陥っては失望することを繰り返していた。”それ”はあたかも弄ぶが如く、持ち上げては突き落とすを繰り返しては「お前はまだ治ってなどいないのだぞ」と現実を突きつけてきた。
なので、今は「そんなもん」と思っている。調子が良い日が続いても、きっとまた不調が顔を覗かせてくると予見して、気まぐれな不調が不意に訪れても「ほらやっぱりね」と残念がらずには居られている。
一度は志した仕事を、身体と心が持たぬからと、これ以上は続けられないと、諦めることになったことは不幸な出来事であったかもしれない。自分を信頼してくれて付いてきてくれた人々の期待を裏切る決断をすることは、決して容易いことではなかった。
それでも、あの時に舞台から降り辞める決断ができたことは、最悪な状況の中の最良の選択であったと思う。今現在、自分の知識や経験、能力を発揮しつつ心穏やかに働けていることを、心の底から幸せだと感じている。
未だに不調の波に襲われる程度に心を傷つけてしまった経験は、どう取り繕っても美談にはできない。しかしながら、その状況を脱し、心穏やかに過ごせる今を幸せだと感じられるのはその経験のおかげでもある。
起こったことを無かったことにはできない。人生をやり直すこともできない。挑戦を選んだあの時の決定を、持続不可能と分かっていながら辞める決断ができなかった最後の1年を、悔やんだところで何も変わることはない。挑戦を選ばなければ、自分が納得するまでやり切っていなければ、きっと別の後悔をしていたとも思う。
今現在の自分は、気まぐれな不調に見舞われながらも、心穏やかに働けている今を幸せだと感じられているのだから、それで良いではないかと。半年前に絶望しきっていた自分から見れば、今の自分の置かれている状況は将に僥倖の極致であり、多少の不調など問題ですら無いわけです。
そんなわけで、僕は今日も心の不調で重たい身体を引きずりながらも、この得難き幸せな状況に感謝しながらなんとかかんとか生きています。有り難や。