前職を半ば転がり出るように辞めて、フリーランスとしての道を歩み始めて1年以上が経ちました。仕事は決して楽なモノではないけれど、それでも心理的安全性が確保されていて心安らかな日々を過ごせています。
2021年の1月に、2023年の4月に、2度の限界を迎えて為す術無く休まざるを得ない状況に追い込まれて、再起に向けて先が見えない中歩んでいた日々が。それに至る頭痛と不安に24時間苛まれて、悪夢にうなされ、涙が止まらず良からぬ考えを浮かべては打ち消す日々が。徐々に遠くなっていきます。
今では不安を打ち消すためにヒーリング音楽を掛けながらNewsletterを書くことはなくなりましたし、電車の中で瞑想をして心を落ち着けることも、ソロキャンプで焚き火を眺めながら頭を空っぽにすることも無くなりました。あの時は確かに、これらのActionは生きのびる為に必要だったのに、今は全くやらなくなりました。
キャンプはキャンピングカーで家族とともに今でも行っていますし、サウナは今も結構な頻度で行っています。良いストレス解消ではありますが、そこにはあの頃の藁をもつかむ必死さはありません。
すっかり平和な日々に慣れてしまい、どこか緩みが出ているというか、この状況を当たり前と思って感謝を忘れているようにも思います。
あの頃は、もっと必死に生きていたし、あの状況を抜け出せた時や4年連れ添った鬱が寛解した時は大きな感謝の想いを抱いていたのに。もっと必死に頑張らないといけないし、今の状況を当たり前と思ってはいけない。そんな焦りを覚えています。
あの時の経験を、そこから学んだ教訓を、今苦しい人に伝えられる何かを、言語化したいと思っているのに美味く言葉にできません。そうこうしている内に、気がつけば時間が経ってしまい、徐々にあの頃の痛みが薄れ、別の事柄に関心を奪われます。
得難き平和な日々という日常を、前を向いて歩くことは決して間違いではないし、いつまでも過去に囚われていて良いわけではないとも思います。あの日々が良かったとも1mmも思わないけれど、あの時のことを人生における最悪の期間として忘れ去る様な事もしたくはありません。
僕は運良くあの状況から抜け出すことができ、生き延びる事ができたのだけど、それで「ああ、良かった」で終わらせず、あの経験を糧として懸命に生き、今苦しんでいる誰かの為に言語化できるように今一度気を引き締め直したいと思います。