42歳にもなってお恥ずかしい話ではあるのだけど、未だに過去の決断だったり、今自分が進んでいる道が正しいのかを思い悩むことがある。
あの時、あんな決断をしなければ全く別の人生があったかもしれない。あの頃もっと自分が頑張って、踏ん張れていたなら、人を傷つけることも、人に迷惑を掛けることもなかったかもしれない。
そういう後悔にも似たような、タラレバが少しずつ少しずつ増えてきた。
幾ら悔やんでも、幾ら思い悩んでも、もうあの頃には戻れない。そこからやり直すことなんて出来ないのだから、今からどうするかにフォーカスすることの方がよっぽど重要だということも頭では分かっている。
ただ、今までの人生で「選択を間違った」「時間の無駄だった」みたいな事はあんまりなかったなとも思う。いくつか、あれは本当に自分が駄目だったと酷く後悔していることはあるけれど、7割ぐらいは「アレで良かった」と思えている。
何故そう思うかを紐解くと、どんなに過酷な状況でも、どんなに手痛い失敗でも、その前後で自分なりに「頑張ってきた」からだろうなと思う。人生の中で、もっとよい選択や生き方があったのかもしれないが、それでもその選択をしてしまったのであれば、悔いなくいけるよう「自分ができる精一杯」やることで、後悔の類いは概ね無くなるように思う。
どれ程過去を悔やんでも、取り返しの付かない失敗を過去に戻ってやり直したいと願っても、別の世界線でやり直すことなんて絶対にできない。
過去を変えることはできないが、未来はこれから如何様にでも変えられる。そうであれば、自分が決めたこの道を「正しかった」と言えるように精一杯頑張る方が、過去を悔やむよりも随分意義深いように思える。
勿論、過去から学んだり、立ち止まって軌道修正や撤退を決断する勇気も必要であろう。全てが全て肯定されるべきと考えたり、頑張って意味あるモノにすべきと考えるのは些か危険すぎるとも思う。ただ、撤退するラインの基準として「悔いがないところまで頑張る」というのはあっても良いと思う。
42歳になった今も自分が選んだ道が正しいか自信が持てずにいる。ただ、過去をアレコレ思い悩んで、どうするのが正しかったかを悶々と考えるより、自分が選んだ道が正しかったと言えるように今やるべきことに精一杯取り組もうとは思えるようになった。幾らばかりか経験値を積み、成長できたという事なのだと思う。
人に迷惑を掛けぬよう、人の役に立てるよう、今は目の前の仕事に精一杯取り組んで、自分が果たすべき責任を果たしていこうと思う。