先日書いた記事の続編というか、あれから色々考えていたことを少し明文化しておこうと思います。まだ完全に自分の中で答えに至ったわけではないのであくまで今現在の考えであり、後から考えが変わる可能性は大いにあります。
考えを一旦まとめてみると、何か別の気づきや着想を得られるかもしれないし、やっぱり相変わらずモヤモヤするかもしれません。
取り敢えず、今得ている一定の結論は「メッセージが不明瞭である」という所です。もう少し詳しく書けば
自分自身でも何を発信すべきかよく分からない(自分が提供できる価値が何か分かっていない、とも言える)
何故発信したいのか分かっていない
故に誰に何を届けたいかもハッキリしない
ということなのだろうと思います。自分で書いてあれですが「キッツー」って感じですよね。何か根本的に情報発信者として大事なモノが欠落している感じすらします。
誰の、どんな課題を、どのように解決するか。そのために自分が提供できる価値は何か。その考えもなしに、闇雲に「自分がその時発信したいこと」を発信しているのだから、かみ合うとかいう話以前です。
では、どうするか。
多分、速効性のある答えはない気がしています。自分が発信したいことは何で、自分ならどういう価値を提供できて、誰にそれを届けていきたいのか、考え続けながら自分のアウトプットを磨き続けるしか道は無いように思うのです。
例え、自分の考えが明瞭であったとしても、書くスキル/話すスキルが足りなければ、それが伝わる形になるかは分からない。伝わる形でアウトプット出来たとして、それが到達するかはまた別問題なわけです。
だから、考え続け、書き続け(語り続け)、それを可能な限り形に現し、可能な限り世の中に放ち続ける必要があります。
勿論、考えを深め、スキルを向上させるために誰かしらの助けを借りることは出来るかも知れませんが、それは「考え続け、書き続ける」在り方の先にある一種のブースターでしかないと思うのです。
こんな中途半端で浅はかな自分が発信するなどおこがましいとも思うのですが、それと同時に自分の中に不明瞭ながら「発信に資する価値」が見えており、「発信したい」というマグマのような情熱が存在しています。
この情熱こそが15年間の情報発信活動の原動力であり、考え続け書き続けることでいつかは”そこ”に到達できると信じる根拠でもあります。
ここまで書いておきながら、こんなことをお願いするのは大変申し訳ないのですが、もしもこの文章を読んで尚、Beckの至らぬ情報発信活動にお付き合い頂けるのであれば、大変有り難く存じます。